好きになって8年を迎えた今日、今までを振り返る

2010年、自分の誕生日にジャニーズへと神宮寺勇太が足を踏み入れてから2年が過ぎた頃、私は神宮寺担として生き始め、今日に至る。2012年の夏に行われたセクゾのsummaryで貴方のパフォーマンスを初めてまじまじと見ることになった。みんながしゃがんで待機している中、堂々と立ってしまっていたのが貴方で、その時は貴方が15歳で私が13歳。なぜその失敗を見て私が貴方を気になり始めたのか、その時の感情はもうはっきりとは覚えていないけれど、応援したいなって思ったのは確かだろうな。そこから、3月30日まで当時担当していた中村嶺亜さんを応援しながらも、ずっと神宮寺さんを横目で見ていた。そして、8年前の今日、神宮寺勇太を全力で応援する決意をしたのだ。

 

今では、神宮寺さんなんて呼んで、周りの友達からもさん付けって珍しいねなんて言われるけれど、13歳の私は可愛く "神宮寺くん" って呼んでいて、それから数年経つと "じんちゃん" に変化しているんだ。

ずっと神宮寺担をしていても私に変化があるように彼にも大きくも、小さくも変化が沢山あった。

 

私が神宮寺担になってすぐ、"ドラマ 幽かな彼女" への出演が決まった。神宮寺さんが出演した初めての学園もののドラマ。あの頃チャラチャラして、「玄樹は俺がいなきゃダメなんだよな」なんて現実では言ってたのに、ドラマの中では立場が逆転した役柄で、その時に、神宮寺くんの演技って素敵!!(キラキラ目)ってなってたな14歳の私。主題歌がSMAPさんだったから、SMAPさんの番組にも出させてもらえて、木村さんと多分お話できたんだろうな、彼の憧れはぶれなくて好きだ。

 

その秋には "ドラマ 49" で盗撮屋井上くんや "SHARK2" 、"青春探偵ハルヤ" の反抗期金髪息子役、どんどん演技のお仕事が増えていった。本当に誇りで、いつ見返しても私の青春そのもの。

 

そして2014年といえば、私の中で現場不動の1位であるクリエ【A】公演。MAGICの絶対的仲の良さと相性、信頼性を見せつけられたあの瞬間、私はMAGICならデビュー出来る。そう確信した。この公演メンバーが決まる裏で、あのじぐいわが離れる危機を迎えながらも、スタッフさんの言葉に反抗して離れなかった玄樹ちゃんの決断、MAGIC5人の舞台のきっかけを作った玄樹ちゃんには頭が上がらない。あの時の私の確信は形にはならなかったけど、あの5人でデビューしていたら、仲間を失う悔しさも、自分の応援ではどうにも出来ない歯痒さも知らなかったんだろうな。そう思うと、全部運命、抗えないものを目の当たりにしたような気がする。そう感じたのが2014年から2015年。MAGICが立っていたクリエの舞台には翌年には、今のキンプリのメンバー6人で立っていて、その当時の私は、正直、MAGICじゃダメだったんだろうかと思っていた。あんなにもグループとして出来上がっていて、あの5人を望むファンが多くいるのにって。でも、そんな時雑誌で、神宮寺さんは、紫耀くんと廉ちゃんが「MAGICのメンバーで見たかった!って言うファンの人が多いことが気になってる」(ニュアンス)と言った時に、「それはふたりが気にすることじゃないよ。そもそも、色んな可能性を試す場所なんだよ。」と話してて、これは自分の中でもちゃんと区切りをつけて、神宮寺さんが連れていってくれる場所に着いていくしかないんだって思った。自分の望むグループの形を求めるのではなく、神宮寺さんがいる場所が、私の応援する場所だと決めた瞬間だった。

 

(ちなみに、2014年はもう一つ私の変化がある。セクセカで神宮寺さん目当てに行ったが、当時、セクボで一緒に活動していたマリウスの担当にもなったことだ。それから2019年までマリウスの担当もすることになる。未だに、マリウスの「じんちゃんは僕の中で最高のアイドル」の言葉を聞くと、泣きそうになる。マリウスは神宮寺さんの本質を綺麗な目で見てくれる、綺麗なアイドルなんだ。お誕生日おめでとう。)

 

そして、2015年の6月、サマステの応援サポーターに選ばれた。Mr.King vs Mr.Princeとして。神宮寺さんの言葉と共に、例の決意を固めた私は、この発表を素直に喜べた。神宮寺さんが輝いていて、緊張しつつも美しい笑顔を浮かべていたから。ユニット継続もまた然り。しかしユニット解体後、2015-2016のJOHNNYS' WorldにPrince3人の姿はなかった。この時、現担当の瑞稀さんがHiHiJETとしてお披露目され、当時の私は心惹かれたが、神宮寺さんが居ない帝国劇場に足は運ばない、神宮寺さんが報われてデビューするまでは、ほかのJr.は敵同然。絶対に神宮寺さん、そしてPrinceだけを応援することを心に誓った。(こんなの自分のエゴに過ぎないけれど)

 

2016年からPrinceの3人で険しい道を歩み出す。私が16歳で神宮寺さんは18歳。

2年間続いたガムシャラ!が終わって、2016年の4月から、彼ら3人の冠番組 "真夜中のプリンス" が始まった。始まった当初はぎこちなくて、神宮寺さんのタイトルコールも不安気、岸くんの食リポは50点、玄樹ちゃんは芸人さんとうまく馴染めない。そんな3人だったけれど、確実に着実に、バラエティスキルを上げていった。本当に私の1週間で1番幸せな時間だった。ただ、帝劇で呼ばれなかったことを境に、少クラに出る時間はほんのわずか、時にはエンディングのみの出演なんてこともあった。私はテレビの前で大号泣して、自分の無力さに呆れた。自分の応援の仕方がいかに弱いかを思い知らされて、そこから、Princeが活躍するためにはどうすればいいか必死に考えた。出演した番組には必ず感想と感謝を必ず送る、Princeが取り上げられた雑誌に葉書がついていたら必ず送る...学生ながらに出来ることは全部やった。真夜プリのグッズも出来る限り買った(家には緑のPキーホルダーが10個)私の中では2016年のヲタク生活はいわば暗黒期とも言えて、必死という言葉でしか言い表せない。そんな私の日々を癒してくれた2年間の真夜プリには本当に感謝している。本人たちも辛かっただろうに、あの笑顔を絶えず見せてくれていたことが私の一番の救いだった。

 

私はこの当時の苦しみをポジティブ人間神宮寺さんの口から聞けることはないと思っていたけれど、デビュー後に放送されたROTで聞けてしまった。「辞めようと思った時もあった」その言葉を聞いた時、鳥肌が立って、自分の前から神宮寺さんが居なくなってしまうかもしれない時間が確かにあったことを思い知らされた。Princeは絶対に弱音を吐かない。吐かないからこそ、静かに辞めてしまっていた可能性があったことを受け止めきれず泣いた。その時改めて、神宮寺さんに一生ついて行く覚悟をした。我ながら重い女だと思う。

 

ヲタク暗黒期なんて言葉で表した私の2016-2017年も今思えば楽しかったし、私の初めてのヲタクの友達が出来たのも2017年。Jr.祭りで出会った岩橋担の友達は間違いなく私がJr.担を続けていられた理由の1つだと思う。楽しい時間を共有した友達も大切だけど、苦しい時間を助け合えた友達の方が私にとっては確実に支えになった。彼女とお互いに受験期だった2017年11月、Princeの写真集が発売されて、2人で電話を繋ぎながら開封式をしたあの日も、プリンスホテルの現場が決まった時も全部全部、一生忘れないだろう。

 

それからというもの、Princeは彼らの力で自分たちの道を切り拓いて、PrinceとPrince担の絆をがっちがちに固めてくれた。雑誌では何度も、何度も感謝を伝え、紛れもなく、世界一大きな幸せを与えてくれた。LIVEの声が小さい時は「みんなならもっと出来るよね」「よく出来ました、ありがとう」なんて甘やかしてくれて、貴方のそんな姿に毎秒惚れ込んだ。

(ただ、私のもう一つの後悔と言うと、彼らが苦しんだ時、そんな中彼らが自分たちのスタイルで這い上がっていた時、自分が財力も時間もない高校生だったことだ。何を言っても自分の年齢は変えられないけれど、もう一度人生をやり直せるなら、大学生か社会人の時にもう一度Prince担をして、目一杯彼らの役に立ちたい。)

 

そして2018年1月17日、King &Princeのデビューが発表された。私は一足先に受験を終えて、大学の課題を図書室でやっていた。そんな時、デビューの一報が入り、私の心臓はいい意味か悪い意味か分からず飛び跳ねた。この時の私の感情は、神宮寺さんのデビューを心から喜ぶ気持ちが5割、Princeが離れないでデビューしてくれたことへの喜びが2割、そして、Prince3人でのデビューではないことに対するもやもやが3割だった。ただ、やっぱりデビュー会見で屈託のない喜びの笑顔を見せる神宮寺さんを見たら、前者の気持ちが大きくなっていった。(自分の欲は押し殺していたと言っても良いが)

 

そしてデビュー1年目、私は初めて神宮寺担を降りるか考え始めることになる。2月の Jr.大賞では、神宮寺さんに取らせてあげたい順位からは程遠い順位を見せてしまった。それなのに、玄樹に票を集めていた神宮寺担のことを全て知っているかのように感謝の言葉をくれてしまう神宮寺さんに申し訳なさを感じた。Firstコンサートで私は、自分でも信じられないくらい楽しめなかった。今だから言えることだが、全くと言って良いほどコンサート中の記憶がない。神宮寺さんがデビューをしたことにより、ずっと心に閉まっていた井上瑞稀という存在を担当として応援できることももちろん要因だったが、正直に言うと、神宮寺勇太が少し変わったような感覚を覚えた。そして、神宮寺さんに対するネガティブな意見が私の耳に入ってくるようになる。この時7年ほど神宮寺さんを応援してきて初めて、心から辛いと思ってしまう自分がいて、その自分にまた嫌気がさした。

 

だが、そんな自分を神宮寺担として留めてくれたのもまた、神宮寺勇太だった。神宮寺さんのJr.当時の歌声、ダンスは私の目から見ると "頑張ってる" これに尽きた。私はそんな神宮寺さんが好きだったし、全力な彼が好きだった。でも、デビューしてからというもの、ボイトレもダンスのトレーニングもしていた彼は、得意のカメラへの目線は衰えることなく、スキルのアップを見せてきた。その時、「私が好きになった神宮寺勇太そのものではないか」そう確信した。弱音は吐かない、絶対に前向き、自分を犠牲にすることを躊躇わない、自分に満足しない、出来ない、そんな彼が私は好きなのだから、離れるなんて考えは捨てるべきだ。本気でそう思った。

 

そして、2019年、私は彼に神宮寺担人生で一番綺麗な景色を見た。DREAM BOYSだ。Wゆうたがドリボ を引っ張って行くことを知った時、大学の何も知らない友達の前で泣いた。大号泣。神宮寺担人生で1番忘れられない現場になったことは間違いない。玄樹ちゃんが隣にいない彼を見るのは本当に新鮮で心配でどうしようもなかった2019年だけど、彼が言葉で岩橋玄樹の大切さと彼の存在をずっと示していてくれたから、私の目には6人の姿がすぐ想像できる。6人で笑っている。

 

2020年1月12日、神宮寺勇太単独MC番組が決まった。彼の優しい口調と気が遣える所が評価された結果だと思うと心から嬉しかった。そして、2020年3月26日、Mazy Nightの披露で私は神宮寺勇太の努力の真骨頂を見た。私はまた泣いた。デビュー発表では泣かなかった私が、彼の進化と努力を目の当たりにして泣いた。自分でも正直驚いた。もうそこにいる神宮寺勇太は "頑張っている" 彼ではなかった。いつか、ダンスを好きになりたいと言っていた彼が、心からダンスを楽しんでいるように見えた。かっこいいだけで片付けたくはないけれど、本当にかっこよかった。

 

神宮寺勇太を好きになって8年ちょうど経った今、なんらかの形で神宮寺勇太への気持ちを綴りたいと思って書いたこのブログ、書きながら改めて思うことは、私の8年は神宮寺勇太がいたから彩られていた。神宮寺さんが幸せなら私も幸せだし、彼は決して出さないけれど、悔しい時は私も彼と一緒にその気持ちを共有したい。こんなに幸せにしてもらっているのにそれをこれっぽっちも返せていないから、そして、神宮寺勇太ほど素敵な男性はいないから私はこれからもアイドル・神宮寺勇太を応援する。