最年少グリーンの相思相愛

プライベートのことをあまり話さない神宮寺さんが、インタビューでよく名前を出すメンバー以外の人物といえば、断トツで森本慎太郎だと私は思う。

同い年で、PrinceとSixTONESの最年少メンカラ緑、プライベートも仲良し、だけど慎太郎の方が4年先輩。そんな2人の相思相愛ぶりがヲタク界では意外と語られていない気がする… けど!!!すごくエモいしハマったら抜けられない沼なので聞いてください!!


神宮寺さんが事務所に入所して、セクゾSUMMARY2012のバックについて必死にノースリーブ衣装で踊っていた時、慎ちゃんは私立バカレア高校に出演して超売れっ子、SUMMARYの追加公演を直談判で開催して成功。そんな初めは共通点0の2人がまさか、超仲良しになるなんて思ってもみなかったよね…


2012年は神宮寺さんがジェシーの弟役として「スプラウト」に出演して、ジェシーの同級生役の安井くんと樹くんに可愛がってもらっていたイメージがあったあの頃。

そんな中、神宮寺さんと慎ちゃんの距離が近づくのが、2013年の「幽かな彼女」。クラスメイト役として、玄樹くんを交えて3人が仲良くなりました。(SMAPさんのJoyのメイキングのレポーターも2人で任せられていた)


5年後に高校生役として、再びの共演することになるなんて感動だし、この先、またドラマで共演する姿が観れる確率は0に近いと思うと、一つ一つのお仕事が奇跡みたいだなとも思うのです。


しかし、その後は活動の場所が同じになることはなく、MAGICがクリエA(その年のJr.の売り出しメンバー・人気メンバーが配置)に呼ばれて東京Jr.で追い風を受けてを走りはじめた頃、慎ちゃんはバカレア組の解体後のメンバー流動機を経験していて、お互いに名前を出すことはなかったのが2014年から2015年。(2014年冬にガムシャラJ’s Partyで、ストプリ合同ライブをした時もほとんど絡みがなかった)

こう見ると、2015年のクリエでSixTONESが結成したことが意外と二人が仲良くなる転機だったように思う。ガムシャラ!(2014-2016)の途中にSixTONESが出来たことで、同じ土俵で活動する機会が増えたから、ここから仲良しボルテージが上がったイメージ。


そこからの2人の仲良しレベルは急加速していくのだけど、いつメン(神宮寺・岩橋・平野・慎太郎・海人)が一緒に出掛けるようになるのも2016年。本当にいろんなことをして遊んでいた(笑)全身タイツバーベキュー、免許取得者が各々の車で縦に並んでドライブ(馬鹿)、慎太郎の波乗り講座(サーフィン)、年越しディズニーとか男子高校生の馬鹿騒ぎを純粋に楽しんでいるのが安心安全のいつメンって感じで大好きです。


長々と神宮寺さんと慎太郎が仲良くなるまでを語ってきましたが、私がなぜ”じぐしん”が好きかというと「慎太郎が珍しく彼女ヅラをするから」です!!!あのみんなの弟!恋愛観は彼女にそっけないです、みたいな人が神宮寺さんに甘えまくる所が推しポイントなのですよ・・・。

 


エピソード1 恋人にしたい

女性誌のJr.勢揃いのインタビューで「付き合うなら誰?」に対して即答で「神宮寺」と答えて理由を話しながら惚気る慎太郎。神宮寺さんも「慎太郎」と答えたが、記者さんに両思いと伝えられ嫌がって顕嵐に変更(2017)。ただ、彼女ヅラは続いて、3年後の女性誌でもジャニーズ全体に選択肢が広まったにもかかわらず「神宮寺」と答える(2020)。

「上司にしたいなら?」という別雑誌の質問にも「神宮寺」と回答(2020)。多分、神宮寺さんもそばに置いておきたいだけでは??(笑)

 


エピソード2 プラベエピが甘い

神宮寺さんとサシでご飯に行った時、眠くてそのまま食事中に寝る慎太郎。すぐに起こさず写真を撮ってしばらく経ってから優しく起こす神宮寺さん。自慢げにJ誌でその写真をアピールしてきたんよ、慎ちゃんは罪深い。

 


エピソード3 褒め方が彼女

慎太郎は神宮寺さんを褒めるときにかなりの確率で「男が惚れる男」と言う。いや、惚れてるんじゃん・・・(少クラアワード2017など)。

私的に神宮寺さんへの褒め言葉で好きなのが「オレが思う”クール”の筆頭は木村拓哉さんで、落ち着いた喋り方や周りへの気遣い、自分の感情をコントロールできるところも格好いいと思う。神宮寺はそれができるんだよね。だから、マジでかっこいいし、あんな良いやつはいないと思ってる。」

これを読んだとき、彼氏の尊敬する人物をあげた後に、私の彼氏もすごいんです、ってアピールするマウントじゃんと思いました(大好きです)。


そして極め付けは、Myojo伝言板で性格でなく、顔も好きと言い始めたこと。

ただ、こんなに彼女ヅラをしても結局、玄樹には勝てないのが現実。玄樹がいれば、慎ちゃんはすぐさま神宮寺さんと一緒に執事に早変わりするので、慎太郎は本当にすごい(笑)。


一方の神宮寺さんも、慎太郎に負けず劣らず愛は強いのが愛おしい。慎ちゃんの活躍をチェックしたくてYouTubeは定期的に観るし、現場が被って慎太郎が他の人と話してる時の笑顔を見るだけで、元気になると言っちゃうくらいには好き。


そんなプライベートまで仲良しの2人だけど、お互いにデビューしていない時に、PrinceとSixTONESの最年少としてグループをどうしていくかについて、熱く語る一面もあるのがまた沼。(ちなみに慎ちゃんは問題児宇宙人きしいわを束ねる神宮寺さんの凄さをメンバーに熱く語ってもいた)。本当にいいやつだな慎ちゃん・・・。


デビューが決まった時も、King & Princeとして仕事が忙しくて会えなくなった時も、マメに連絡を取って、雑誌でも高頻度で名前を出してくれる慎太郎に本当に感謝しかない。

デビュー決定後に神宮寺さんに「お前のデビューコンサート観たら、オレ泣いちゃうかも」と言える男友達、本当に素敵です。

お互いの活躍を同業者としてでなく、友達として見ることが出来ている2人の寛容さと信頼関係はずっと変わらないていて欲しいな。


見た目はがっちりしているけど心は繊細な慎ちゃんと、見た目はガリガリだけど心は鋼のメンタルの神宮寺さん。お互いの全てを理解しているから安心して背中を預けているような雰囲気の2人が大好きです。早くご飯に旅行に行けるといいね。これから歳を重ねても、くだらないことで笑って、真剣な話は腹を割ってできる2人でいてください。2人のこれからに幸あれ!

運命共同体の二人の10年間

2021年最初のMyojoさんで、佐藤勝利×神宮寺勇太の対談がありました...!!同じ日に誕生日入所を果たして10年間、スタートは同じだけれど歩いてきた道は全く異なった2人の、初めて2人だけでの企画に湧いたヲタクで溢れていたと思う... だってこの二人、エモすぎるから!!!!!

 

親子丼に釣られて嫌々オーディションを受けにきた勝利くんと、キムタクに憧れて自分の意思で受けにきた神宮寺さん。当時のことはあまり話されてはきていないけれど、連絡先交換くらいはしていたのかな...?この二人の距離が縮まったのは、ジャニーさんに連れてきてもらった中華料理屋さんで「小籠包美味しいね!!!」と意気投合したから...愛おしすぎる...!!!それから二人が成長しても、食の好みが合うと何度か話していたから、似た味覚が二人を繋いだと言っても過言じゃない(過言)

 

2010年10月30日入所はかなりのメンツがまだ残っていて、今では仲良く同期会を開催する仲睦まじい雰囲気だけれど、うみんちゅ曰く、グループ分けされてレッスンを受けていたそうで、明かされたのは勝利はAチーム(有望枠)神宮寺さん、うみ、宮近がBチームという感じで、初めのうちは接点があまりなかったらしい... (余談ですが、このチームBで仲良くなったうみじぐで109に通っていました。神宮寺さんの初109はうみです。)

 

そんな中、神宮寺さんの勝利くんがシンメで踊るお仕事が!!!キスマイさんのデビューツアーの玉森くんの後ろでシンメ体制を築いたこともあったのです... が!転機が訪れるのです...

 

そう、Sexy Zoneのデビュー。今まで一緒にやってきた勝利くんがセンターでデビューする、そしてデビュー曲のバックに自分がつく。神宮寺さんはいつかの雑誌ではっきりと「悔しかった」と言ってましたね。でもなんだかんだWゆうたと勝利くんは穏やかに関係は続いていく感じだったかな。

雑誌の現場に神宮寺さんがいたら「じんちゃーん!」と言って抱きしめたり、「俺とじんちゃん運命だよね!」と嬉しそうに言ったり... 2人の仲が拗れなかったのは、確実に2人が優しい穏やかな人だったからだと思うな。

 

そんな穏やかな2人ですが、神宮寺さんが勝利くんにキレた事件があります。その名も"ハニトーブチギレ事件" 。2人でカラオケに行った時に勝利くんがKAT-TUNのNEVER AGAINを練習したくて、何回も歌っていたところ、同じ歌を聴きすぎて耐えきれなくなった神宮寺さんが「ハニトーハニトーうっせーよ!」とブチギレた事件ですwww

この事件を聞いてからネバアゲを聴くと "君は俺の甘いハニートースト" で私の心の中で必ず神宮寺さんが叫ぶようになってしまった... 

 

そんなこんなで勝利くんはセクゾで忙しく、神宮寺さんはJr.のトップを走るような存在になっていた最中、じぐしょりのバイブルである「49」が決まりました!!!

神宮寺さん演じる井上智は、勝利くん演じる加賀美暖の親友で、かなり重要なポジションなので暖と一緒につるんでます。そのこともあり、神宮寺さんは勝利くんと必然的に一緒にいる時間が長いのか、ここまでの微妙な関係が解消された気がします。

その頃から、セクボメンバーと勝利くんが遊んだり、Guy's勝利(勝利Prince宮近)でディズニーや温泉によく行くようになっていました。ピースフルな世界。

かと思いきや、そんな中でのセクファミ事変...(あれは事変以外の何者でもない)

セクゾ3人、セクシー松、セクボのあの時代に突入します。その頃にファンの間で騒がれていたのが、勝利くんが旧セクボとプラベで会わなくなったこと... 今まで嬉しそうに雑誌で話していたエピソードがめっきり減るんですよね(T . T) 人より繊細で考え込みやすい勝利くんのことだから、色々気を遣っていたのかなと思ったあの頃。

それでも、2014年の勝利ソロコンで神宮寺さんがバックに着いた時、雑誌で「じんちゃんがいると緊張が和らぐんだよね。」と言っていて、良かった。相変わらず仲が良かった。と安心した記憶があって、

2015年のソロコンで神宮寺さんの声の調子が良くない時はすごく心配してずっと労ってくれていたことも思い出す...。

活動する立ち位置は違えども、同じステージで肩を並べて時間を過ごせたことを楽しんでいる2人の空気感が印象的でした。

 

サマステでMr.King VS Mr.Prince結成の発表があり、そこからPrince3人で歩み始めて以降、勝利くんは必ずPrinceのコンサートには足を運んでくれていて、とにかくPrinceが大好き!が溢れていた勝利くん。

Princeお馴染みの紫のお衣装に「ルマンドみたい」と言ってから、ファンの間で「ルマンド衣装」と呼ばれるようになったのも懐かしい。

 

勝利くんは意外とズバッと物事を言うし、好き嫌いははっきりしているし、辛辣なこともさらっと放つけれど、神宮寺さんにはかなり甘い

あの頃の神宮寺さんは、先輩からはいじられて、同年代からは変態扱いをされて(それも良い)、他の子よりちょっと浮いてる感じもあったけれど、勝利くんは全肯定派!!とにかく褒める褒める!!

2018年のMyojo伝言板で「じんちゃんのチャラぐうじが好きです」と言っていて、他の人は「神宮寺のチャラぐうじ時代はやばいよな(笑)」と言う所を、肯定してくれる、数少ない存在だと思う。

 

ちなみに、神宮寺さんのことを "じんちゃん" と呼ぶ人は3人しかいなくて、中島健人佐藤勝利マリウス葉揃いにも揃って神宮寺さんに全員激甘な方達です。なので、じんちゃん呼びを聞いた時の安心感は尋常じゃない。神宮寺全肯定派のお言葉... となる。

 

そして、セクゾが5人体制に戻ってから少し経った頃、勝利くんのブログでPrinceとの温泉旅行(勝利くんの思いつきで弾丸)が報告された時は、やっと勝利くんの中で整理がついたな、また遊べる区切りをつけたんだなと思ったのです。優しい穏やかなメンツの温泉旅行、幸せそうだったな... ちなみに運転は最年少の神宮寺さん。大学のレポートの締め切り間近にも関わらず連れ出されたため車の中で書いていた玄樹くん。全力で楽しむ優勝コンビ。私たちが普段見ている彼らそのまんまで安心したよね。

 

お互いにデビューをして、なかなか共演はないけれど、そんな中で企画していただいたじぐしょり対談。2人の考えるグループへの想い、似ている性格だからこそ打ち明けられる自分の立ち位置の話、お互いの活動を見たアドバイス。沢山のことを話していて、普段自分のことを進んで話さない2人が、この2人だからこそ話すことのできる内容で、胸が熱くなりました... 。

大切な同期で、違う道で苦労を乗り越えたお互いの理解者で、サシメシは照れちゃう、10/30には「おめでとう」「ありがとう」の会話を必ず行う、そんな唯一無二の運命共同体、じぐしょり!永遠なれ!

 

 

 

 

 

 

 

キミは笑顔が一番似合うからさ、笑っていてね

神宮寺さん、23歳のお誕生日、そして入所10年、本当におめでとう。木村拓哉さんに憧れて、自分も同じ世界に入りたいと思った12歳の神宮寺さん。なかなか勇気が出なくて履歴書を送るのを躊躇っていた時、おじいちゃんに背中を押されて一緒に履歴書を送ったんだよね、あの時、大きな決断をしてくれて有難う。そのおかげで、私は神宮寺さんに出会えています。

 

「100円の履歴書から自分の人生が変わった」

 

「僕は自分からジャニーズに入りたくて応募して、同時にデビューしたいって夢を持って入ったから。今ジャニーズJr.として活躍させてもらってるけど、最初に抱いた夢は曲げたくない。」

 

「(デビューを知らせる電話は)人生で一番幸せなモーニングコールだった」

 

神宮寺さんは節目節目に、素敵な言葉で、自分の想いを私たちに伝えてくれた。次はどんな夢が叶ったときに、どんな言葉で私たちに伝えてくれるのかな。

 

Jr.時代から、神宮寺さんは自己プロデュース能力に長けている。チャラいキャラを始めた時も、理由はは周りのJr.にそういうキャラが居なくて、目立てるならばそのポジションだったから。あの時のことを大人になって振り返ったときに、「ちょっと苦しかったかな」と笑いながら答えていたけれど、ありのままの自分を見せずに、あくまで" 求められているもの" を提供するのが " アイドル神宮寺勇太 "。ありのままを出せないのは、10代では苦しいだろうに、あのキャラクターを貫いていたのは、本当にすごいと思う。

 

2014年あたりから、" 国民的彼氏 " と呼ばれるようになって来た時も、雑誌で「僕のファンは、ネーミングセンスがある!」「ファンの方がつけてくれたフレーズを大切にしたい」と話してくれた。正直、あの時はここまで長く国民的彼氏と呼ばれ続けて、世間に浸透すると思っていなかった。もう6年も国民的彼氏を貫いてくれている神宮寺さん、あなたが本当は変態で、おかしい人で、たまに一人の世界に入ってしまうことはバレているから、無理にお風呂でキャンドルを焚いたり、バラを入れたりはしなくて良いからね。プライベートでは、ありのままのあなたで居てください。

 

神宮寺さんの好きなところは沢山あって、言ってしまえば全て好きなんだけど、あくまで、アイドルというお仕事をしているから、プライベートと混同はしないで、プライベートの話はあまりしない、ガードが堅いところが好きです。

神宮寺さんは、自分の仕事を「King & Princeという仕事」と話す。私はこの言葉に神宮寺さんのアイドルとしてのモットーがあると思う。つまりは、「神宮寺勇太」と「King & Prince 神宮寺勇太」は彼の中で全く別に存在していて、後者に私的なことは要らないという考え方。

この考え方が10年間ずっとあるから、究極のアイドルを私たちに見せてくれるのだと思う。私は神宮寺くん、というかPrinceの3人に、アイドルの模範解答を教えてもらったと思っているから、どんなグループを見ても、あの3人には敵わないよ。あんなにファンのことを大切にしてくれるグループ、他のどこにも居ない。

 

神宮寺さんの雑誌のインタビューで出てくるプライベートの話は、登場人物、話す内容、趣味に一貫性があって、それを読むたびに徹底しているなと感じる。

(だからこそ、神宮寺さんが先輩の中だったら京本くんと一番ご飯に行くと言ったのが意外でノーマークだった。しかも、これを打ち明けた理由は、京本くんが雑誌で先に明かしたから。)

本当に隙がない!!!!!!ガード堅いな!!!

 

「みんなはオレの顔を知っているのに、オレはファン全員の顔を知っているわけじゃないなって不公平でしょ?だから、一度みんなで集まってみたい。」

 

2018年にこれを聞いた時は、なんでこの人は、こんなに欲しい言葉が分かるんだろうって思った。神宮寺担ってなんて幸せなんだろうって。

 

ファンの人への愛は人一倍伝えて、プライベートなことは極力隠す、私の理想のアイドル像が神宮寺さんで出来上がってしまったおかげで、他の人を見ても全然物足りなくなっちゃったよ(笑)だから、これからもついて行くね。

 

「人に優しくなるには、自分のことを好きじゃないといけないと思う。

私はこの神宮寺さんの言葉に刺激を受けて、私の人生のモットーになった。

神宮寺さんは、私の中で一番のアイドルで、尊敬する人で、学ぶべきものを沢山持っている人。私の人生を彩ってくれる人。この人の望みなら身を粉にしても叶えてあげたいと思う人。

 

だからさ、神宮寺さんには笑っていてほしい。大切な人の笑顔が私にとっては一番の宝物だから。

目尻に皺が寄って、大きな瞳が弧を描いて、大きな口から白い歯が顔を覗かせる。そう、あなたには笑顔が一番だから、嫌なことなんて捨てちゃえば良いから、笑っていてね。

23歳の神宮寺さんが、大切な人たちと、大切な時間や経験、思い出を沢山抱いて、大きく口を開けて笑っていられますように祈っています。

 

 

 

 

秘密が少し多いきみへ

神宮寺さんのお誕生日まであと数日になる。そんなそわそわした日々に、神宮寺さんへの思いを整理したい。誕生日には、明るく、感謝と愛を伝えたいから、少しだけ、暗いかもしれないけど。

神宮寺さん、自分の意思でジャニーズになることを決めて、今日までアイドルを全うしてくれて有難う。

私が神宮寺勇太に出会ってから、8年が過ぎるけれど、神宮寺さんはつくづく、掴みどころのない男の人だなと思います。

 

男友達からの信頼が厚い神宮寺さん、誰にでも優しくて、感情が表情に出なくて、嫌なことがあっても、「自分って可哀想だな」と客観的に思うだけで沈むことはない、本当によく出来た、よく出来過ぎた男の人だと思う。頼りがいがあって、グループのまとめ役、尊敬する所しかないんだけど、たまに心配になる。ちょっと抱え過ぎじゃない?辛そうだな、大丈夫?って思わせる隙も見せてくれないから。色んなジャニーズの人の文章とかインタビューを読んできたけれど、大体の人は、「あの時はキツかった、辛かった、傷つく言葉を言われた時もあった」って弱みも見せてくれる。けれど、私はその少しの弱さも見たことがないと思う。神宮寺さんが泣いた所は、神宮寺担の誰に聞いても見たことはないと言うし、どんなに厳しいタイトな撮影でも、最後には「楽しかったです。」と言う。

 

ドキュメンタリー番組で、「神宮寺さんが18歳の時、お仕事がしたいのに無いから、辞めようと思った。」と話してくれた時、神宮寺さんからやっと一つ弱さを見れた、そう思った。自分が応援していて、辛いけど今は頑張りどころだなって思ってた時期は、神宮寺さんが辞めようか迷っていた時期だったと知った時、一つ疑問があった。

2017年のSTAGE naviで、Princeが辞めようと思った時期はあったか聞かれた時に、神宮寺さんだけ「一度も無かったです。」そう言ったよね。この時、神宮寺さんは19歳。確実に、1年前に辞めようと思ってるんだよね。それでも、私たちには絶対に言わなかった。私はそれに気づいた時、この人って、多分私たちに隠している感情や想いが沢山あるんだろうなって思ったんだ。ファンに弱さも涙も絶対に見せない、感謝と笑顔と愛しか届けない。そういう人なんだろうなって。

 

デビューしてから、彼は正直、King & Princeの中なら一番アンチが多いと思う。神宮寺さんは白黒はっきりつけたい人だから、言いたいことも山ほどあると思う。でも、絶対に、感謝と向上心と、私たちへの愛しか語らない。アンチに対して「やめて」なんて多分一生言わないと思う。私もたまに、アンチの言葉見ちゃうんだよね。なかなかキツイことを書かれてて、自分で自分の首を絞めてる瞬間がある。神宮寺さんはエゴサはするタイプだから、全部、全部見てると思う。もしかしたら、全部受け止めてるかもしれない。たまには逃げても良いんだよ、って言ってあげたいけれど、言えないし、言われても逃げないでしょ。見ていて不安になる時もあるけれど、それが神宮寺さんだもんね。

だから、神宮寺さんには、神宮寺さんを大切にしてくれる人と、大切な時間を送って欲しい。だから私は、神宮寺さんが選んだ人なら付き合っても結婚しても、心からおめでとうと言えるし、なんなら喜ぶと思う。

 

人は、一人一つ鞄を持って生きていて、そこに大切なものを選んで大事に運んでいく。中には見せなくないものを奥の方に仕舞い込んで、他の人には見られないように持ち歩く。見せられないものを入れてしまったら、鞄には限りがあるから、大切なものを入れるスペースは少し減る。だからこそ、本当に大切で、何に変えても失いたくないものを、きちんと鞄に入れて欲しい。私の願いはただそれだけです。

 

秘密が少し多いきみへ

鞄には、何を入れたいか決まっていますか?もし、その入れたいものを手に入れる時、上手く入らなかったり、落としそうになった時は、自分には、鞄の中に神宮寺さんへの愛を大切にしまっている人たちがいることを思い出してね。そして、神宮寺さんが少しでも鞄の奥底の秘密を減らしていける、素敵な瞬間が来ますように。

 

 

好きになって8年を迎えた今日、今までを振り返る

2010年、自分の誕生日にジャニーズへと神宮寺勇太が足を踏み入れてから2年が過ぎた頃、私は神宮寺担として生き始め、今日に至る。2012年の夏に行われたセクゾのsummaryで貴方のパフォーマンスを初めてまじまじと見ることになった。みんながしゃがんで待機している中、堂々と立ってしまっていたのが貴方で、その時は貴方が15歳で私が13歳。なぜその失敗を見て私が貴方を気になり始めたのか、その時の感情はもうはっきりとは覚えていないけれど、応援したいなって思ったのは確かだろうな。そこから、3月30日まで当時担当していた中村嶺亜さんを応援しながらも、ずっと神宮寺さんを横目で見ていた。そして、8年前の今日、神宮寺勇太を全力で応援する決意をしたのだ。

 

今では、神宮寺さんなんて呼んで、周りの友達からもさん付けって珍しいねなんて言われるけれど、13歳の私は可愛く "神宮寺くん" って呼んでいて、それから数年経つと "じんちゃん" に変化しているんだ。

ずっと神宮寺担をしていても私に変化があるように彼にも大きくも、小さくも変化が沢山あった。

 

私が神宮寺担になってすぐ、"ドラマ 幽かな彼女" への出演が決まった。神宮寺さんが出演した初めての学園もののドラマ。あの頃チャラチャラして、「玄樹は俺がいなきゃダメなんだよな」なんて現実では言ってたのに、ドラマの中では立場が逆転した役柄で、その時に、神宮寺くんの演技って素敵!!(キラキラ目)ってなってたな14歳の私。主題歌がSMAPさんだったから、SMAPさんの番組にも出させてもらえて、木村さんと多分お話できたんだろうな、彼の憧れはぶれなくて好きだ。

 

その秋には "ドラマ 49" で盗撮屋井上くんや "SHARK2" 、"青春探偵ハルヤ" の反抗期金髪息子役、どんどん演技のお仕事が増えていった。本当に誇りで、いつ見返しても私の青春そのもの。

 

そして2014年といえば、私の中で現場不動の1位であるクリエ【A】公演。MAGICの絶対的仲の良さと相性、信頼性を見せつけられたあの瞬間、私はMAGICならデビュー出来る。そう確信した。この公演メンバーが決まる裏で、あのじぐいわが離れる危機を迎えながらも、スタッフさんの言葉に反抗して離れなかった玄樹ちゃんの決断、MAGIC5人の舞台のきっかけを作った玄樹ちゃんには頭が上がらない。あの時の私の確信は形にはならなかったけど、あの5人でデビューしていたら、仲間を失う悔しさも、自分の応援ではどうにも出来ない歯痒さも知らなかったんだろうな。そう思うと、全部運命、抗えないものを目の当たりにしたような気がする。そう感じたのが2014年から2015年。MAGICが立っていたクリエの舞台には翌年には、今のキンプリのメンバー6人で立っていて、その当時の私は、正直、MAGICじゃダメだったんだろうかと思っていた。あんなにもグループとして出来上がっていて、あの5人を望むファンが多くいるのにって。でも、そんな時雑誌で、神宮寺さんは、紫耀くんと廉ちゃんが「MAGICのメンバーで見たかった!って言うファンの人が多いことが気になってる」(ニュアンス)と言った時に、「それはふたりが気にすることじゃないよ。そもそも、色んな可能性を試す場所なんだよ。」と話してて、これは自分の中でもちゃんと区切りをつけて、神宮寺さんが連れていってくれる場所に着いていくしかないんだって思った。自分の望むグループの形を求めるのではなく、神宮寺さんがいる場所が、私の応援する場所だと決めた瞬間だった。

 

(ちなみに、2014年はもう一つ私の変化がある。セクセカで神宮寺さん目当てに行ったが、当時、セクボで一緒に活動していたマリウスの担当にもなったことだ。それから2019年までマリウスの担当もすることになる。未だに、マリウスの「じんちゃんは僕の中で最高のアイドル」の言葉を聞くと、泣きそうになる。マリウスは神宮寺さんの本質を綺麗な目で見てくれる、綺麗なアイドルなんだ。お誕生日おめでとう。)

 

そして、2015年の6月、サマステの応援サポーターに選ばれた。Mr.King vs Mr.Princeとして。神宮寺さんの言葉と共に、例の決意を固めた私は、この発表を素直に喜べた。神宮寺さんが輝いていて、緊張しつつも美しい笑顔を浮かべていたから。ユニット継続もまた然り。しかしユニット解体後、2015-2016のJOHNNYS' WorldにPrince3人の姿はなかった。この時、現担当の瑞稀さんがHiHiJETとしてお披露目され、当時の私は心惹かれたが、神宮寺さんが居ない帝国劇場に足は運ばない、神宮寺さんが報われてデビューするまでは、ほかのJr.は敵同然。絶対に神宮寺さん、そしてPrinceだけを応援することを心に誓った。(こんなの自分のエゴに過ぎないけれど)

 

2016年からPrinceの3人で険しい道を歩み出す。私が16歳で神宮寺さんは18歳。

2年間続いたガムシャラ!が終わって、2016年の4月から、彼ら3人の冠番組 "真夜中のプリンス" が始まった。始まった当初はぎこちなくて、神宮寺さんのタイトルコールも不安気、岸くんの食リポは50点、玄樹ちゃんは芸人さんとうまく馴染めない。そんな3人だったけれど、確実に着実に、バラエティスキルを上げていった。本当に私の1週間で1番幸せな時間だった。ただ、帝劇で呼ばれなかったことを境に、少クラに出る時間はほんのわずか、時にはエンディングのみの出演なんてこともあった。私はテレビの前で大号泣して、自分の無力さに呆れた。自分の応援の仕方がいかに弱いかを思い知らされて、そこから、Princeが活躍するためにはどうすればいいか必死に考えた。出演した番組には必ず感想と感謝を必ず送る、Princeが取り上げられた雑誌に葉書がついていたら必ず送る...学生ながらに出来ることは全部やった。真夜プリのグッズも出来る限り買った(家には緑のPキーホルダーが10個)私の中では2016年のヲタク生活はいわば暗黒期とも言えて、必死という言葉でしか言い表せない。そんな私の日々を癒してくれた2年間の真夜プリには本当に感謝している。本人たちも辛かっただろうに、あの笑顔を絶えず見せてくれていたことが私の一番の救いだった。

 

私はこの当時の苦しみをポジティブ人間神宮寺さんの口から聞けることはないと思っていたけれど、デビュー後に放送されたROTで聞けてしまった。「辞めようと思った時もあった」その言葉を聞いた時、鳥肌が立って、自分の前から神宮寺さんが居なくなってしまうかもしれない時間が確かにあったことを思い知らされた。Princeは絶対に弱音を吐かない。吐かないからこそ、静かに辞めてしまっていた可能性があったことを受け止めきれず泣いた。その時改めて、神宮寺さんに一生ついて行く覚悟をした。我ながら重い女だと思う。

 

ヲタク暗黒期なんて言葉で表した私の2016-2017年も今思えば楽しかったし、私の初めてのヲタクの友達が出来たのも2017年。Jr.祭りで出会った岩橋担の友達は間違いなく私がJr.担を続けていられた理由の1つだと思う。楽しい時間を共有した友達も大切だけど、苦しい時間を助け合えた友達の方が私にとっては確実に支えになった。彼女とお互いに受験期だった2017年11月、Princeの写真集が発売されて、2人で電話を繋ぎながら開封式をしたあの日も、プリンスホテルの現場が決まった時も全部全部、一生忘れないだろう。

 

それからというもの、Princeは彼らの力で自分たちの道を切り拓いて、PrinceとPrince担の絆をがっちがちに固めてくれた。雑誌では何度も、何度も感謝を伝え、紛れもなく、世界一大きな幸せを与えてくれた。LIVEの声が小さい時は「みんなならもっと出来るよね」「よく出来ました、ありがとう」なんて甘やかしてくれて、貴方のそんな姿に毎秒惚れ込んだ。

(ただ、私のもう一つの後悔と言うと、彼らが苦しんだ時、そんな中彼らが自分たちのスタイルで這い上がっていた時、自分が財力も時間もない高校生だったことだ。何を言っても自分の年齢は変えられないけれど、もう一度人生をやり直せるなら、大学生か社会人の時にもう一度Prince担をして、目一杯彼らの役に立ちたい。)

 

そして2018年1月17日、King &Princeのデビューが発表された。私は一足先に受験を終えて、大学の課題を図書室でやっていた。そんな時、デビューの一報が入り、私の心臓はいい意味か悪い意味か分からず飛び跳ねた。この時の私の感情は、神宮寺さんのデビューを心から喜ぶ気持ちが5割、Princeが離れないでデビューしてくれたことへの喜びが2割、そして、Prince3人でのデビューではないことに対するもやもやが3割だった。ただ、やっぱりデビュー会見で屈託のない喜びの笑顔を見せる神宮寺さんを見たら、前者の気持ちが大きくなっていった。(自分の欲は押し殺していたと言っても良いが)

 

そしてデビュー1年目、私は初めて神宮寺担を降りるか考え始めることになる。2月の Jr.大賞では、神宮寺さんに取らせてあげたい順位からは程遠い順位を見せてしまった。それなのに、玄樹に票を集めていた神宮寺担のことを全て知っているかのように感謝の言葉をくれてしまう神宮寺さんに申し訳なさを感じた。Firstコンサートで私は、自分でも信じられないくらい楽しめなかった。今だから言えることだが、全くと言って良いほどコンサート中の記憶がない。神宮寺さんがデビューをしたことにより、ずっと心に閉まっていた井上瑞稀という存在を担当として応援できることももちろん要因だったが、正直に言うと、神宮寺勇太が少し変わったような感覚を覚えた。そして、神宮寺さんに対するネガティブな意見が私の耳に入ってくるようになる。この時7年ほど神宮寺さんを応援してきて初めて、心から辛いと思ってしまう自分がいて、その自分にまた嫌気がさした。

 

だが、そんな自分を神宮寺担として留めてくれたのもまた、神宮寺勇太だった。神宮寺さんのJr.当時の歌声、ダンスは私の目から見ると "頑張ってる" これに尽きた。私はそんな神宮寺さんが好きだったし、全力な彼が好きだった。でも、デビューしてからというもの、ボイトレもダンスのトレーニングもしていた彼は、得意のカメラへの目線は衰えることなく、スキルのアップを見せてきた。その時、「私が好きになった神宮寺勇太そのものではないか」そう確信した。弱音は吐かない、絶対に前向き、自分を犠牲にすることを躊躇わない、自分に満足しない、出来ない、そんな彼が私は好きなのだから、離れるなんて考えは捨てるべきだ。本気でそう思った。

 

そして、2019年、私は彼に神宮寺担人生で一番綺麗な景色を見た。DREAM BOYSだ。Wゆうたがドリボ を引っ張って行くことを知った時、大学の何も知らない友達の前で泣いた。大号泣。神宮寺担人生で1番忘れられない現場になったことは間違いない。玄樹ちゃんが隣にいない彼を見るのは本当に新鮮で心配でどうしようもなかった2019年だけど、彼が言葉で岩橋玄樹の大切さと彼の存在をずっと示していてくれたから、私の目には6人の姿がすぐ想像できる。6人で笑っている。

 

2020年1月12日、神宮寺勇太単独MC番組が決まった。彼の優しい口調と気が遣える所が評価された結果だと思うと心から嬉しかった。そして、2020年3月26日、Mazy Nightの披露で私は神宮寺勇太の努力の真骨頂を見た。私はまた泣いた。デビュー発表では泣かなかった私が、彼の進化と努力を目の当たりにして泣いた。自分でも正直驚いた。もうそこにいる神宮寺勇太は "頑張っている" 彼ではなかった。いつか、ダンスを好きになりたいと言っていた彼が、心からダンスを楽しんでいるように見えた。かっこいいだけで片付けたくはないけれど、本当にかっこよかった。

 

神宮寺勇太を好きになって8年ちょうど経った今、なんらかの形で神宮寺勇太への気持ちを綴りたいと思って書いたこのブログ、書きながら改めて思うことは、私の8年は神宮寺勇太がいたから彩られていた。神宮寺さんが幸せなら私も幸せだし、彼は決して出さないけれど、悔しい時は私も彼と一緒にその気持ちを共有したい。こんなに幸せにしてもらっているのにそれをこれっぽっちも返せていないから、そして、神宮寺勇太ほど素敵な男性はいないから私はこれからもアイドル・神宮寺勇太を応援する。